身もふたもない
*本日のタイトルは、
前回のつながりの場の
話題からいただきました。
発言した方の掲載許可は
いただいております。
身もふたもない
残るのは
シンプルな事実だったり
だれもが知ってる正論だったり
物事の核心・本質だったり……。
それって、要は、
子どもからお年寄りまで
わかりやすい表現
なのでは?
バリアフリーよ!ユニバーサルデザインよ!
必要最低限の内容。過不足ない表現。
私から見たら、すごい才能だわ!
ADHDの私は話が派生しすぎて、
もともと何を話していたかわからなくなる。
言葉に飾りが多すぎて、
伝えたいことがぼんやりしてしまう。
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ASDをもつ人は
「身もふたもない」表現をしがちで、
周りから白い目でみられる。
コソコソうわさされる。
それに気づいた当人は、
表現することをやめてしまう。
自分を偽るようになる。
本来の自分の姿があやふやになる。
私からしたら、欲しい才能なのに、
どうしてうまくいかないんだろ?
考えてみた。
たぶんニーズが違うんだ。
「身もふたもない」表現をする人の
大切にしている価値は、
「明晰さ」「目的」「有効性」などの
伝えたい内容の意味や本質なんだ。
「身もふたもない」表現を嫌う人の
大切にしている価値は、
「仲間」「コミュニティ」「気遣い」などの
人と人とのつながりなんだ。
どっちが正しいとか間違ってるとか、
どっちを優先するのかとかではないんだ。
前者がマイノリティで
後者がマジョリティ。
多数決で雰囲気が決まってしまう。
お互いにニーズが違うことに気づいて、
相手に共感してもらえるような
表現を選んで発信したり、
言い方とか言葉選びとかではなく、
相手の伝えたいことの本質を
しっかりと受け止めて受信したりすれば、
解決の糸口がつかめる気がする。
どちらのニーズも満たすことも
できるはず!
そういう世の中であってほしいな。
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